わけのわからないことを考えるのが好きだ. 「わけのわからないこと」とは「人生って何?」,「自分って何?」,「善悪って何?」 みたいな, 結局哲学みたいなことなんだけど, そんなに高級なものじゃなくてもっと幼稚なレベルである. トートロジーみたいな内容が多くて, 答が出ないだろうということは わかっているのについついはまってしまう.

子どもの頃, 辞書を読むのが好きだった. どんどん引いて行くとどこに行きつくのか? という疑問が湧き起こった. 極端な話では「赤ちゃんが国語辞典を使って日本語が覚えられるか? (もちろん不可能ですが)」 もうちょっとまともな線では 「全く英語を知らない人が英英辞典を使えるか?」. もっと現実的な話では
「通訳の最初の人ってどういう風に言葉を覚えたのか?」
「赤ちゃんはどうやって言葉を覚えるか?」というようなこと

たぶん言葉のスタートラインというかブートストラップというものが何か? ということだと思うんだけど, すると「物の名前」とか「気持ち」とか自然界や 人間の頭の中にある概念とか観念みたいなものが言葉とは別にあって, それに 言葉がくっつくというイメージが浮かびます.

「言葉とは独立な観念ってあるんだろうか?」 ということを言葉で考えた時点で, 既に言葉とは独立じゃないのでトートロジーみたいな世界にはまっていってしまいます. すると冒頭に書いたように「わけがわからない」となるわけです.

結局「存在とは何か?」ということになるですが, (デカルトじゃないけど) 考えているのは自分自身なので, 「自分のいない状態での存在とは何か?」って ことを考えることができなくなります.

まあ哲学とかをちゃんと勉強すればもうちょっと進めるのかもしれません. が, まあ幼稚なレベルでこうやっていろいろ考えているのが楽しいんでいいです. 一番いやなのは, 安易に宗教とかに逃げることです.
...と書いたけど結局「イヤ」か「イヤじゃないか」ってことなのかー?

世の中たいていのことはわけがわかりません. 価値観の問題なんかそれこそわけがわかりません(優柔不断術にも通じてますね). 「何がよくて何がよくないか」なんて全くわかりません. だからわかった顔してしゃべってる人を見るととても不快になります. でも「わかった顔してしゃべるのが悪いことかどうか」もわかりません. うーむ, こういうことを言い出すと, 「わからないかどうかもわからない」 ということになって収拾がつかないなー. あー面白い.


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