落書帳

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2000 年 3 月 29 日

アクセスカウンタとかつけようかなーと思っていたのだが,私の場合 トップページ以外の所にリンクを張られていることが多いようなので アクセスログを取ろうと思って Analog というプログラムをインストールしてみた. 結果はこちら. たまたま去年の誕生日からスタートしているが,眺めているとなかなかおもしろい.

somucho.go.jp というところからのアクセスが多いけどこれは何なんだろう? ちょっと怖い気もする. 検索語では,予想されたように「千種高校」 「EM アルゴリズム」が多いのはいいとして, 「オランダ料理」で来てしまうとは...

車のページは許可無しで写真取ってるから,これだけアクセスがあると ちょっと考えた方がいいかなー. まあ身内からのアクセスがほとんどだからまあ いいか. 今は無き「ニュ−ラルネットメモ」にも結構アクセスがあったんだなー. 残しておけばよかったかな.


2000 年 3 月 28 日

ある人から「研究貴族」なる称号を頂いた. たいして予算も使わず,そのかわり自分の好きな研究だけしているという ことらしい. 予算を使うにはお金をもらわなければならない. 私はお金儲けがうまくない質なので,お金を使う研究はどうも性に合わない. 予算を取るためには口先三寸役人を丸め込み,時にはやりたくない研究もやらねば ならない. ただでさえ不精な私がそんなことに精力を使わされたらもう 研究をやる気力は残っていない.

日経新聞か何かに書いてあった話だが, 今まで公にはとかく批判の対象になっていた日本の若者文化が海外で注目されるよう になって,それをサポートしようという話があるらしい. しかし,若者文化はそんなサポート無しに,同世代の厳しい評価の中で育って行った もので,お上がいろいろ口を出して邪魔にならないにしなければダメだという 趣旨であった.

研究者も似たような側面がある. 研究者は自分の好奇心と学会や周囲の研究者との厳しい競争の中で 自分の能力を最大限に発揮することができる. グループのリーダーは自分が楽をするために,グループを一つの方向 に導こうとしがちである. しかし無理に方向づけを行ってもグループの活性度はジリ貧である. グループメンバーが自発的に向くような魅力ある方向づけが必要なのである. だが,それができるグループリーダーはとても数が限られている. だとすれば並のグループリーダーができることは,個々の研究者が自由に研究でき, かつ,ぬるま湯にならない切磋琢磨できる環境を作ることであろう.

長々と書いたが,要は, (上に向かっての)「研究予算の確保」と(下に向けての)「研究の実施」は 分けて考えた方がよいということで,グループリーダーになる人は 板挟みで大変ですね,というお話でした(他人事か?).


2000 年 3 月 22 日

久々の日記で新鮮味がある. 今晩からスキーに行ってしまうので とりあえず何か書いておかないと 3 月も終ってしまう. 1 月,2 月,3 月は「行く」「逃げる」「去る」というらしいが,まさに 何もしないうちに今年も 3 ヵ月過ぎてしまった. このところ落ち着かないと思うのは,研究所の独立行政法人化でゴタゴタ しているせいもあるかもしれない. ただでさえ集中力を持続させるのが難しい私にはかなりの騒音である.

さて,花粉症は一度喉をやられて苦しんだ以外はそれほどでもない. 体質改善したのか,空気清浄器が効いたのか,それとも目薬の薬効かわからないが, あの花粉の一粒一粒が目に入って来る感触がないのが逆に恋しいくらいだ.

先週は広尾にある統計数理研究所で研究会があったので, 久々に東京に行った. 旅費も出たので珍しく東京泊である. ついでだから妻と子供も連れて行った(というよりついてきた). 研究会があったので私は別行動だったが, 子供は新幹線やら電車に無茶苦茶はまっているので, 東京駅に連れて行って大はしゃぎだったらしい.

私はというと,麻布の小洒落た(死語?)オープンカフェのイタ飯屋(これも死語?)で ランチを食べ,お上りさんの気分を味わった. つくばにだってイタ飯屋くらいあるのだが,何か空気が違うのである (排気ガスも多いしって...違うか).

今日は何の主張もない日記らしい日記が書けてよかった.


2000 年 3 月 9 日

Playstation2 が発売されたが、うちにはまだ導入されていない。 ただでさえ会話の少ない私が PS2 にはまってますます口をきかなくなることを 妻は危惧しているようで、導入にあまりノリ気でないのだ。 まあ、それを曲げてまで欲しいものではないので、導入するとしてもしばらく 先になりそうだ。

この件に限らず自分はすぐに妥協してしまう性質だと思っているのだが、 妻に言わせると、それでも頑固なところもあるらしい。 自分でもよくわからないが、すごくギザギザしていて強固なエゴが深層心理の 根っ子に生えていて、それをそのまま出すと酷いことになるという長年の 経験が、やたら妥協してしまう優柔不断な厚い皮となって積み重なっていった のではないだろうか。

自分自身の根っ子をもうちょっと見つめ直してやった方がいいのかもしれない。 深層心理を抑圧しすぎることは、多重人格などの人格の歪みを生み出すらしい。 ということは PS2 を買っちゃった方がいいってことか? ちょっと違う気もするぞ。


2000 年 3 月 8 日

最近、報道やら身近なところで「死」ということを意識させられることが多い。 命が大切なのはわかっているのだが、地球上に何十億も転がっているから、 ニュースとかで報道されてもなかなか実感が湧かないのかもしれない。 何よりも大切な命も、日本だけで1分間に2人弱くらいの割合で死んでいるから 他人ごとならそれほど気にしていられないというのはあるかもしれない。

しかし、交通事故(1.5万)、自殺(2万)、不慮の事故(4万)で合わせて年間 7 万人以上も 死んでいることを考えると、これは下手な宝くじよりもずっと高そうな確率なので 少々怖くなる。 この数字はジャンボ機が100台以上落ちないと達成できない 数字なのだ。

上の数字を見ると自殺者の数がすごい。 人間の精神力なんて弱いものだから、簡単に死んじゃうんだろうけど、 (脳の研究者としては)もったいないからやめて欲しいなーと思う。 なんていうのは死のうとしている人には慰めの言葉にもならないか。


2000 年 3 月 1 日

2 月のタイトルリストを作っていたら全部病気シリーズになってしまった (一部は無理矢理だが)。 病気自慢というのは人間の習性らしいので、 それに見事に従っているということか。

再び自慢になるが、私はこの辺りではタイピングが速い方だ。 もちろんプロの タイピストには及びもつかないが、昔 8bit パソコンで自分で作ったタイピング ソフトで鍛えた成果である。

さて、昨日の話の続きになるが、TeX や計算機数学で知られる Knuth 教授も その著書の中で、最初は鉛筆で草稿を書くと言っている。 手で書く速さと考える速さがちょうどあっているのに対し、タイプする速さは 考える速さより速いため、考えるために手を止めてしまうことになり、 流れがスムースでなくなるということらしい。 この論理はよくわからない部分も あるが、日本語の場合はかな漢字変換に集中力をそがれるということはある かもしれない。 私も Knuth 教授もタイプは速いのに、草稿は手で書く点で 共通している。 結局旧人類ということかもしれないが。

タイピングの話に戻ると、最近訓練をしていないせいもあるが、ある程度 以上にはなかなか速くならない。 Dvorak キー配列にすればもっと上達するのか? それとも自己流の癖を直した方が よいのか? それに、速さはキーボードによっても全然違う。 普段愛用しているのはいわゆる US キーボードというもので、日本語キーボード だとかなり遅くなる。 WindowsCE マシンとして愛用している MobileGear R300 は日本語キーボードで、 まあこれはしょうがないと諦めてはいるが、右シフトが小さすぎてよく上向き 矢印を間違って押してしまって入力がおかしくなることがある。 矢印キーはどこか別の所に移して欲しいのだが、、、 というようなことを書いていたら練習したくなって来たぞ。 いかん、またまた逃避行動だ。


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