落書帳

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2005 年 12 月 14 日

阪大の集中講義に早稲田の非常勤,それに情報幾何シンポジウムだの smapip 研究会だのでむやみと外出が多い. その上日記だのブログだの 本来便利なはずのツールがあまり更新もできずに放置してある.

ブログも1週間も更新しないと読者は見に来てくれないそうだ. だからブロガーたちは忙しいのにせっせと更新している. しかし, 内容的にもかなり重複が多いだろうし,無意味に数だけ増やしても あまり意味がないのではないだろうか. そのうち google みたいなところが, 重複した記事とかを整理して提供してくれるようになれば,無駄にブログを 書くのも減るのかなー. といって有名人が当たり前のことを書いても ありがたがる世の中だからそう単純な問題でもないか.

最近よく思うのは,web の上の 情報というのがかなり刹那的であるということだ. 旬のニュースを得るためにはできるだけ新しい情報をどんどん載せていくという ことがいいのだろうが,結構過去の情報を引きたいということは多い.

過去の新聞記事などもある期間を過ぎるとどんどん消されていってしまう. 古い書類とかも保存期間を過ぎるとどんどん破棄されていく. これは保管場所 の問題というよりは過去に対する責任回避という側面が強い. 電子的な情報ならばどれだけ積み重ねても大したことはないはずだから, 別に取っておくことには何の問題もないはずなのだが...

例えばテレビ番組表. 録画したはずの番組が入っていない. 何か特番か何かで 急遽番組編成が変わったらしいということは想像がつく. しかし, インターネットテレビ番組表を見ても過去の番組の情報は載っていない (昔は載っていたのだが...). 何の特番で,録画したかった番組が どうなったかを探すのは意外と大変なのだ.

さて,ハリーポッターと炎のゴブレットが公開されて(忙しいといいつつ) 早速見に行った. 一人だとなかなか気恥ずかしくて見に行けないだろうが, 子どもがいると正々堂々と見に行けてお得である. 今回は初めて 吹き替え版を見に行ったが,子どもが多くてみんなポップコーンをぱりぱり 食べている音がやかましいのはなんとかしてほしかった. ハリーポッター,指輪物語と来たらやはりナルニア物語で,これはディズニー によってライオンと魔女がもうすぐ公開である. これに備えて子どもと一緒に ナルニア全巻読みきった. さて次はゲド戦記かなーなどと思っていたら 昨日のニュースでジブリが映画化するらしい. 早く図書館で借りないと, また借りられなくなってしまう. ちょっと路線はずれるが,チョコレート工場 の秘密も映画化より前に噂を聞きつけて読んだ. こういうのが読めるのも 子どもがいるからである. ついでに昔懐かしいチョコレート戦争も借りて 読んだりしていた.


2005 年 11 月 22 日

忙しいのは固めてやってくるので始末におえない. 締切の過ぎた査読をかかえて思わずため息が出る. 自分の研究がなかなかできない.

最近やっと東京に行く用事が増えて,TX にも乗りまくった. 行きは時間に合わせて家を出るから問題ないが,帰りは快速に当たらないと 守谷行だったり鈍行だったりと意外に使うのが難しい. これは高速バスと逆パターンだ. あとは新宿とか西東京に出るのが 結構時間がかかる. 北千住から先は西に向かって欲しかった.

最近読んだ本で割とおもしろかったのは京極夏彦の 「姑獲鳥の夏」. ちょっと能書きが多過ぎるのが 玉に瑕だが,陰陽師とかの世界を架空ではない現代ミステリー仕立て にしている点がよかった. しばらくは京極夏彦にはまるかもしれない. この作品は DVD も出ているようなので機会があれば見てみたい.

問題な日本語は面白かったが続編を読むとなんだかなーと思う. 別に質が落ちているわけではないけど2匹目のどじょうという感じ. 生協の白石さんに至ってはなんでベストセラーになるのかわからない. はみだしぴあ(今でもあるのかな)とか,今ならブログとかにいくらでも 面白いのがあるのに. まあこういうブームって特に理由はないからなー.


2005 年 9 月 20 日

数学/算数 Part 2.
数学とスポーツの類似性について思いついたことの覚書:

数学と芸術の類似性について 数学と宗教の類似性について 数学の本(といっても全然専門書じゃないけど)ばかり読んでいるのも飽きるので,図書館で借りた「長距離走者の孤独」(アラン・シリトー)を読んだ. なんか今の気分にフィットしていてとてもよかった. やはり名作はいいなあ. 私は劣等感のカタマリなので,こういう本を読んで感情移入するとなんか救われる. 一方最近巷にたくさん出回っている自己啓発本とかハウツー本は,なんかうすっぺらい感じで,「こうするといいんだよ」と書いてあると逆にアマノジャクの虫が出てきて,「そんなことあるか」みたいな気持ちになってしまう. それに,結局自分自身で見出して本当に「わかった」ことでないと身につかないということはあるのではないだろうか. そういう点でハウツー本より小説の方が説得力がある.
そもそも「わかる」ということはどういうことだろうか. 何か心の中で相転移みたいなことが起きる一種の錯覚のようなものだということはなんとなく感じる. わかった気になったことが後で「実は全然わかってなかった. 今度こそわかった」と思うことがある. さらにそれでもちゃんとわかってないことも多い. きっと物事というのは閉じていなくて開いた世界だから,何かを理解しようとするとそれにつながっているもろもろのことを理解しなければならず,その連鎖はいつまでたっても終わることがないということかもしれない.


2005 年 9 月 14 日

数学/算数について. 「博士の愛した数式」(小川洋子)を図書館で借りて読んだ. 数学や算数は一般社会から見るとやはり特別な存在である. 記憶障害などなくても数学者というだけで十分変人かもしれない. それに,私などはついつい博士の方に感情移入して読んでしまうのだが, 一般の人はどういう感じなのだろうなどと考えながら読んだ.

その後, 「いやでも楽しめる算数」(清水義範・西原理恵子)を読んだ. これは博士(清水義範)が算数嫌いの読者を相手に苦闘する様子が面白い. 数あるエピソードの中で,文章題に出てくるマヌケな太郎くんが 嫌いというくだりがある. 太郎くんは池の周りに等間隔で植木を 植えたがったりする奇行があるし,亀の足と鶴の足の区別もつかない 愚か者である(原本が今手元にないのでちょっと記憶が怪しいが). そのように一見現実的でありながら実際非現実的な問題が子供達を 算数から遠ざけてしまうのだろう. そのようなものを好むのは 現実離れしたマニアのパズル感覚でしかないのかもしれない. そういえばやはり清水義範の永遠のジャック&ベティも英語に 関して似たようなモチーフで書かれている.

さて,イラストレーターのサイバラこと西原理恵子氏の挿絵に, 「算数は訪問販売の鍋売りに似ている. 相手の説明に, 『わかってたまるか』という気持ちになる」というような話が書いてあった. これは一般の人に限らず,同じ研究者同士でも似たような経験をすることは 多い. 簡単な数式が出てきただけで「全然わかりません」となる. その裏に「わかってたまるか」みたいな憎しみがありありと存在している.

かくいう私も,算数や数学がとびぬけて得意というわけでもない. 事実清水氏の「赤胴鈴之助問題(要はランダムに入っている景品を そろえるのに平均いくつ買えばいいか)」は説明を読んでもなんだかよく わからなかった. 一応確率統計は専門なのだが^^;;; この手の確率の問題は,数え上げや場合の数を正しく求めることが エレガントに問題を解くコツなのだが,大抵数え落としとかがあって, 正解にたどり着けない. すると定義にもどって確率と数をかけて 足して平均を求めるという泥くさい方法でやるしかない. まあ人工知能やパターン認識では数え上げが必要な確率計算はほとんど 出てこないので助かっている.

確率統計といえば,私は中学のとき通っていた塾の先生が雑談で話していた 「確率・統計入門」(小針あき宏)を中学のときに読んだ. まさかその頃は確率・統計が自分の専門分野になるなどとは夢にも思って いなかった. ちなみにこの本は小針あき宏の絶筆に近いものであるが, 説明の巧みさにおいて今でも確率・統計の本の中で傑出しているように 思う. 中学の当時はルベーグ積分はおろかリーマン積分や確かΣ記号や 積分記号も知らなかったのでかなりちんぷんかんぷんな部分も多かったが, それでも面白く読んでいた記憶がある. 文章書きたるものこうでなくては. さすがに内容に関してはこの本を参照することもほとんどなくなったが, 文章のお手本としていつも近くに置いている本である.


2005 年 9 月 12 日

今日は言葉について. 問題な日本語という本を 週刊 ブックレビューのホームページで知り,図書館で借りて読んだ. この本のいいところは,単にうんちく学にとどまらず,言語というものを 生きたものとして扱っている点である. それにしても,今まで 「汚名を挽回する」という表現に汚名を挽回してどうするなどと 突っ込んでいた人は足元をすくわれた気持ちだろう(web で引くと たくさんでてくるが...). ただうんちくを述べるだけの人は「記問之学」と言って軽蔑される. といいつつ最近私が書いている解説とかはまさにそれなんで,ちょっと 自省している. もっとものごとを深く考えねば...

ともかく言葉と言うのは面白くまた難しい. だから,学術論文を書くときには そのような際どい領域にはできるだけ近付かず,単純かつ明瞭な表現をする ことが求められる. だが,人間とは不思議なもので,よい子はここで遊ばない と言われるとあまのじゃくの虫が動き出すのか,学術的な話を書く場合でも やたらと文学臭の強い文章に出会うことがあり閉口することがある. 特に一般書として出版されるものに多いが,著者が自分自身の言葉に 酔いしれているのである. そういうのに限って中身はないのだが. 哲学や心理学なんかだと特にその傾向が強い. やたら凝ったメタファー (そういう人はこのメタファーというのが好きなんだよなー)を引きまわした あげくに当り前の結論を導いている. なんか読者を口車にのせているようで, 言葉に対しても失礼だと思ってしまうのはおかしいだろうか.

常日頃,できるだけわかりやすい文章を書きたいと思っている. だが,実際に書いたものを読むと理想と現実とのギャップに唖然とする. 漢語や難解な語を多用した文は一般に理解が困難と思われる. だが,ひらがなややまとことばばかりの文がわかりやすいかというと そうでもない. 一つ一つの文だけ見ていてはだめで,つながりが大事である. これは,卒論の指導教官の杉原先生の 「理科系のための英文作法」(中公新書) にも書いてある. 現実には 頭の中がぐちゃぐちゃになっているのを大して整理もせずに書くものだから ついついぶつ切りの文章ができてしまう.

一方,わかりやす過ぎる文章も問題だという気がしている. さらっと読んで,ちっとも頭の中に残っていないのだ. やはり何か文章というのは山登りのように多少苦労して達成感を 感じさせるような要素も必要かなと思う. そうすると結局ふりだしにもどって何も書けなくなる. 原稿用紙を前にして頭が真っ白な子供というのもきっとこんな心理なのでは ないだろうか. そのころからちっとも成長していない自分も問題ではある.

そういえば杉原先生といい,コンピュータビジョン関係の人は英語に 一家言もつ人が多い(金谷先生とかもいろいろ書いているみたいだし, あと金出さんも著書の中で英語自慢している). これは何か理由があるのだろうか.


2005 年 9 月 9 日

つくばエクスプレスが開通したが,残念ながらまだ一度も乗る機会がない. つくばはある意味東京を小さくしたようなもの(ただし縮尺の方は逆に 大きくなっている)なので,車があればつくばから出る必要がほとんどない. 逆に,東京からつくばに来る人っているのかなー? 足がないからつくば駅の近所をうろうろするしかないのではなかろうか. そういえば駅周辺の道路は以前と違って歩行者がずいぶん増えたような 印象である.

ところでなぜか世の中野球がブーム?である. 去年からのほりえもんやら楽天やらの騒動なんかが好影響を及ぼして いるのだろうか. 実はリアルタイムで人気のあるのは大リーグの方かもしれず, 日本のプロ野球は放送時間の延長も削減されたり,放送そのものが 少なくなっている. それにもかかわらず,昔懐かしい野球漫画が 続々とテレビに登場しているのを見ると,なんとも郷愁をそそられてしまう.

まず,何と言ってもインパクトのあるのはアストロ球団である. 深夜とは言えテレ朝系である. あのノリは,最近で言えば少林サッカー にも通じるところがあり,小さいころはリングにかけろ(車田正美)などとともに インパクトのあるまんがだった.

もう一つは多少地味だがわれわれぐらいの年代なら必ず知っている 有名まんがプレイボールのアニメ化である. 今までなかったの? というぐらいだが,今まであったのは姉妹作の キャプテンだった. ちばテレビではキャプテンも同時に再放送されている. そういえば作者のちばあきおさんも若くして亡くなった純粋なまんが家 だった. 野球をやっていたし,しかも下手っぴだったのでキャプテンのキャラには すごく共感した記憶がある. ちなみにいずれもまんがは友達のものあるいは 立ち読みである.

あとは実写版「タッチ」 . そういえばあだち充の作品って,1週間で進む量が無茶苦茶少なかった 覚えがある.

livedoor のほりえもんや楽天の三木谷氏をはじめ,IT 産業の成功者って なんだかすごい. すごいにはすごいけど決して友達にはなれそうにない. もともと友達少ないけど^^;

ノスタルジーついでに,こないだダベっていて出てきたなつかしいものたち:


2005 年 8 月 9 日

戦後60年,人間でいえば還暦だ. 私が生まれたころ,まだ戦後20年だった. 今にして思えば,20年しか 経っていないのに,高度経済成長期の波ですでに戦後の跡を洗い流していた. その60年前はなんと日露戦争の終わった年である. 今年生まれた子供は我々にとっての日露戦争の ように第2次世界大戦を受け止めることになるのだろうか.

昨今,いろいろ歴史的事実に関して議論が盛んである. 歴史というのは,我々の研究分野的な言葉でいえば不完全情報から 完全情報を推論する「逆問題」である. 逆問題は,事前知識(prior)がなければ安定して解くことができないという 大きな特徴がある. だから,純粋に客観的な歴史的事実というのは 存在し得ない. 事前知識は価値観や政治力によって左右される. 逆にいえばそれらの要因でいくらでも都合のいい歴史的事実が形成される 危うさもある. お金や信条が絡むと,真実を解き明かすというよりは そのお金や信条が目的になってしまう可能性もある. まあそういう せめぎあいが人間社会だというような引いた見方をすることもできるのだが...

そういうテーマで作られたテレビ番組に「時空警察」というのがあって たまに特番シーズンなどに放映されている. まあ内容的には怪しげなものも多いが,歴史と言うものの一側面は とらえているような気がする.

歴史が真実かどうかは,科学としては重要である. だから歴史的事実の捏造などを科学者がやるのは罪が重い(これは 刑罰を喰らうと言うよりは科学に対する冒涜行為である). ただでさえ不完全な証拠から歴史的事実を推測しなくてはならないのに 嘘があっては大きな誤差が生じてしまう.

一方,歴史を楽しみ観賞するという立場からすると, 歴史の正確さは大して重要ではない気もする. 例えば,「龍馬がゆく」は司馬遼太郎が作ったフィクションに近いと言われている. 多かれ少なかれ歴史と言うものは脚色化されたものであり, それがゆえに面白いという面もある. ただ,リアルなものしか信じない人には逆にそのような脚色は有害かも知れない. もっと突き進むと,例えば指輪物語は完全なフィクションであるが, 立派な歴史物語と見ることもできる. 作者のトールキンは作品に寓意を込めることを極端に嫌ったとされている. サウロン=ヒトラーなどという単純な類推で作品を見て欲しくなかった という. 作品から何を読み取るのかは,観賞者自身の自由にゆだねる べきということである. まあ作者の価値観が暗黙のうちに作品のうちに入り込んでいることは 避けられないだろうが,歴史のあるべき要件を満たしているようにも思う.


2005 年 4 月 11 日

今年の花粉症は長引くそうである. この前ニュースで,杉花粉の煙を火事と間違えて通報した人がいたとか. やはりちょっと杉の植えすぎではなかろうか. ふと見ると自宅のベランダから杉の大木が何本も並んでいる. 今の時期は花粉で木が真っ茶色になっている. これは花粉症になっても不思議はないと思った.

さて,つくば市の図書館が4月から一人10冊まで借りられるようになった. 最近は子供が本をたくさん読むので私の分の枠も子供に与えていたが, やっと自分の好きな本が借りられるようになる. そう思ってふと図書館の返却棚から手にした本が北杜夫のエッセイだった. 中学の頃,北杜夫とか遠藤周作のエッセイにはまっていて,あまり堅い本は 読まなかった. その頃友達から筒井康隆の「狂気の沙汰も金次第」を 教えてもらってだんだん筒井にはまっていった. そしてやはり阿川弘之とか吉行淳之介とかのエッセイもよく読んだ. 高校とか大学では,小難しい小林秀雄とか吉本隆明もカッコつけて 読んだりしていたが,ちっとも面白いと思わなかった. トルストイの「戦争と平和」も大学の時,暇に任せて読破したが, 大して面白くなかった.

本は人を作る. そして,私の考え方とか文章のノリは上に書いたような エッセイで形作られた部分が多く,脱力研究者の骨組みとなっている. 特に北杜夫の躁鬱病気質は結構重なる部分がある. これは研究でも何でもみな似たようなもので,研究のやる気にも むら気が激しいし,小難しい論文はあまり読みたくない. 今回北杜夫のエッセイを読み返して,この日記も彼のエッセイにノリが 似ているなと思った. 名だたる文豪を前にしてはなはだ失礼な話ではあるが... でも北杜夫のエッセイ以外の作品は読んだ記憶があまりない. 「楡家の人々」も結局読んでないし.


2005 年 3 月 28 日

くまのプーさんの最後に,クリストファーロビンがいよいよ学校に通う歳に なり,プーと別れるシーンがある(これは一部のビデオだけで,原作はよく 知りませんが). 「これからは,“何もしない”をすることができなくなる」 とクリストファーロビンがプーに言うところが妙にじーんと来る.

なかなか今の世の中“何もしない”をすることは難しい. でも出張の電車の中とかそういうところでは,できるだけ“何もしない”を するようにしている. 頭をからっぽにすると,なんか頭が純粋になって, いろいろなしがらみを忘れ,脳みそが宇宙空間を漂うような (というのは少し表現がオーバーだけど),すごく自由な気持ちになる. その後また日常に引き戻されたときに,ものを新鮮な目で見たり感じたり することができるようになる.

古い友達から昔と変わってないと言われてうれしくなった. きっと,“何もしない”ことで自分が常に自分らしく純粋でいられるのだと 思う. まあその分成長してないとも言えるのだが,「前はあんな奴じゃ なかったのに」と言われるよりはましなような気がする. マトリックスでも,モーフィアスが「この世には変わらないものがある」と ニオベに言うシーンがあるが,自分の根っこの部分はずっと 変わらないだろうなと思う. (全然話はずれるけど,モーフィアスと ニオベには感情移入できるんだけど,ネオとトリニティの関係って 見てるだけではなんだかよくわからない).

一方で,すごくポジティブに変わる人もいる. すごく内気だった人が 大人になったらすごく外交的になったとか,優柔不断だったのが すごく決断力がつくようになったとか... 自分にはとてもそういうことは起こりそうもないが,それは人生の修行が 足りないからなのか,変わる必要がないと思っているからなのか, まあきっとその両方なのだろうけど.


2005 年 3 月 25 日

原稿の締切が迫っているのに気が乗らなくて筆が全く進まないので逃避モード. それにしても研究者って結局文筆業だなあ. 書く文章の種類は文学的な ものとは全く違うけど.

さて,今日から愛知万博が開幕らしい. 産総研もいろいろ出しているのだが, 私はものづくりしてないんでほとんど関係がない. それより旧ダイエー跡にオープンするショッピングモール Dayztown が今日 オープンするようで,そっちの方が地元民としては重要である. また,パチンコ・ゲームセンターのあったビルも改装中で,何に生まれ変わる のかが楽しみだ. そういえば,まだつくばに来たばかりの頃は, あのビルからダイエー,電気街にかけては,ナンパストリートとして有名であった. 週末の夜ともなるとシャコタンの怪しい車が列をなして止まって, そこに群がる女の子をナンパするというすごい地域であった. それが今ではオークラホテル・国際会議場ができて,全く雰囲気が変わってしまっ た. そのおかげでゲーセンもつぶれちゃったんだと思うが,最近は 暴走族というのもずいぶん減った. つくばが都会化して走りにくくなったとい うこともあるだろうが,聞いた話では最近の若者は暴走族をかっこいいとは 思わないそうな. いまだに暴走族やっているのはちょっと白髪入った時代遅れの 人たちらしい. そういえば街を走っている車もワゴンばっかりでスポーツカー とか少ないし,まだスポーツカーへの憧れをもつ自分も年をとったということだろうか.

そういえば,つくばは4月から粗大ゴミ有料化がはじまるのだが,そのために 駆け込みで粗大ゴミが集積所にたまっていて,全然回収されない. おそらく運搬のキャパを超えてしまっているのだろう. まだまだ使えそうなものも多いのだが,お金がかかるなら捨てちゃえという ところだと思う. 「もったいない」という日本的な文化が国際化しようという この時代に逆行するような感じである. 家電リサイクル法や自動車リサイクル法にしても同じだが, 今の時代ものを長く使うということが難しい. お金を払わずにリサイクルするためには,ものを最後まで使い込むのではなく, まだ商品価値が残っている内に買い換えるというのがいい戦略になってしまう. 景気回復とか企業のリサイクルへの取り組み推進という意味だということは わかるが,一庶民の立場からすると不法投棄が増えたりものを安易に捨てる 風潮に火をつけるようで釈然としない.

さて,今まで web での日記はこのページを使ってきたが,研究関係でフリーの ブログをはじめたら,レイアウトはきれいだし,管理は楽ということで 他にもブログをはじめてしまった. もちろん匿名である. 何かものを書くのに匿名というのは無責任な気がして今まで手を 出さなかったのだが,ここのように実名で書くというのは相当に神経を 使う. 基本的に実名で書く部分は自分のきれいな側面だけを見せている わけで,自分の中の氷山の一角に過ぎない. それに今の時代,下手なことを 書くと身の危険にもさらされかねない. その点匿名ならば思いっきり自分のネガティブな面を含めさらけだすことが できる. もちろん,そんなものを世間の目にさらすなという考え方もあるが, 全く誰も読まないものというのはなかなか書くモチベーションが起きない. (そういう意味で,全くのプライベートな日記帳を書き続ける人を 尊敬してしまうのだが). 誰かが,「2ちゃんねる」を評して, インターネットにおける便所の落書きと言ったらしいが,まさにそんな気分に 近いかも知れない. というわけで,今後はブログを書く方がメインになると思われるので, この日記の更新もますますおろそかになると思われるがご容赦ねがいたい.


2005 年 2 月 28 日

つくばエクスプレスが 8月24日に開通するらしい. 15年前につくばに来たときには10年後と言われていたので (というかそのしばらく前から10年後だったらしいが^^), やっとという感じである. 今は,駅周辺が工事ラッシュで不便なこと この上ない. 先週末も西武とジャスコのリニューアルオープンで 周辺は車がごったがえしていた.

新しい駅ビル(Q't)や 最近できた LALA ガーデン なんかは,食べ物屋関係が重要で,その中のファッション関係のお店は全く 無縁だなーと思っていたのだが, 「そういうファッション関係のお店があると客層がよくなる」という 説を聞いてなるほどそういう考え方もあるのかと妙に納得してしまった. 全く縁のないお店でもそれなりの存在意義はあるものだ. しかし食べ物屋にしても,テナント料が高そうなのであまり期待できないかも. すでに車で行く圏内に美味しいお店がいろいろあるからなー.


2005 年 2 月 17 日

なんだか世の中便利になればなるほど忙しくなっているような気がする. 情報がいろいろ手に入るせいで,一種の情報中毒のような状態なのかもしれない.

情報と同じぐらいゴミもたくさんある. 一日に来るメールのうち半分は いわゆる spam で,残りの半分以上は広告メールかメーリングリストのメールである. 本当に大切なメールの数というのは15年前から大して変わっていない. spam フィルタにはベイジアンスパムフィルタというなんだかネーミング的に 研究内容に近いソフトを入れて使っている. 学習能力はあまり賢いとは言えないが,山ほど来る spam を大まかに分類するには 便利なことこの上ない. 時々知人からのメールも spam に分類されているので 時々 spam フォルダもチェックする必要があるのが少々面倒である.

spam にはウィルス添付のやつもいてなかなか厄介である. 研究所ではゲートウェイでウィルスをはねてくれるのだが,それでもすり抜けて 来るやつがいる. antivirus ソフト様々である. と思って油断していたら最近はスパイウェアとかアドウェアなどというのが フリーソフトの中に紛れ込んでいるらしい. そこで早速駆除ソフトをインストールして みると critical なアドウェアが山ほど入っていることがわかった. critical といっても全部が全部悪意に満ちているわけではなく,これらのおかげで フリーのソフトウェアが手に入るという恩恵にも浴しているわけだが, とりあえず気持ち悪いので全部駆除しておいた.

まあ spam にしても スパイウェアにしても,それがあるおかげでいろいろ セキュリティ技術が進歩している. まあどんなものにも存在意義はあるという ことかも知れない. 昔は寄生虫がいたおかげで花粉症にならずに済んだという 話もあることだし.


2005 年 1 月 23 日

年末に大きな出来事がありすぎて,なんだか今年は年越しもあっさりしていた. そもそも,最近は元旦から多くの店も営業しているし,昔のような年始の静まり返った 雰囲気というのがあまり感じられない. 今年に関してお正月を感じた瞬間は, (今では数少なくなってしまったが)年賀状を見たときと,2日に 福袋の列に並んだときだったろうか. ちなみにその福袋はつくばにあるコートダジュールというケーキ屋さんの ものなのだが,ケーキ屋の福袋にあれだけ行列ができているとは予想していなかった ので正直驚いた.

さて,つくばの隣には土浦市という古い城下町がある. 城下町といっても城の実態はほとんど残っておらず,亀城公園(きじょうこうえん) というさびれた公園があるだけである. 14年以上つくばに住んでいるが, 先日はじめて亀城公園に行く機会があり,ついでにその周りを散策した. 土浦というとなんだかさびれた街という印象があり,実際典型的なさえない 地方都市という感じではあるのだが,古い町がもっているなんともいえない 味というか汚れ具合を感じた. 絵の具を何度も何度も塗り重ねたような 感じといおうか,別にそれが絵としての完成度を増していくわけではないんだけど, 人間が年を経るのもきっとこんな感じなんだろうなと思う. 町の商店街に「差入屋(土浦拘置所指定)」という怪しげなお店があった. きっと文字通りのお店なんだろうが,つくばには都会的なおしゃれなお店は あっても,こういう怪しい店ができるにはまだまだ歴史が浅い. (つくばも筑波山の方に行けばがまの油とか,石下の方の将門関係の史跡は 結構怪しい感じが漂っているが)


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