落書帳

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2000 年 4 月 27 日

昨日は埼玉大にセミナーに行って来ました(電車で行くと遠い!). そのとき埼玉大の後藤君がこのページの隠れ(?)読者であることを知り,久々 に更新する気になりました.

大学は若い人達がイキイキしていて雰囲気がよかったです. 自由な活気に満ち溢れていました. 電総研を振り返ると,独立行政法人化でみんな浮き足立っていて, 自由も活気も昔に比べて失われつつあるようです. 勤務時間を厳しくするとかいう話もあるようですが, それが研究のアクティビティに結び付いて行くとは思えないんですけどね. まあ,せめて大学はこれを教訓にしてもっとましな改革の道を進んで欲しいですね. そもそも改革する必要があるのかどうかよくわかりませんけど.

ところで,連休中にマシンの移行があるらしくて,このページの更新も しない方がよいようです. それでは連休明けにまたお会いしましょう.


2000 年 4 月 19 日

昨晩は,妻と子供と妻の母とで何やら東京に出かけたので,久々に遅くまで 仕事をした. といっても,前やった計算に計算間違いが発見されたので, それにはまってしまって全然仕事ははかどらない. しかも,机の向こうに座っている藤木君が帰りそうになく (結局彼は徹夜したようだ),なかなか集中できなかったので 2:00 過ぎには帰宅した. 一晩眠って,睡眠学習の効果か,計算の間違いは解決された.

そういえば子供の頃はやたらと雑誌や新聞にのっていた睡眠学習器なるものは どうなったのだろうと思って,web で検索してみたら見つかった. コテコテのキャッチコピーで,なんか懐かしい気持ちになった. 全然違うけど,昔懐かしい電子ブロックもまだあるようだ (メーカー(昔は学研)や形は多少変わっているけど). ぐっと脱線すると,例えば南極 1 号とかはどうなんだろう. そのままでは引っかからなかったけど(当り前か).


2000 年 4 月 17 日

今日はボールペンについて. 研究で一番重要なアイテムがボールペンである. パソコンはなくてもなんとかなるが,ボールペンがないと研究ができない. そのボールペンだが,これがまたよくなくなるのである. なくなるというのは消費するという意味ではなくて,どこかに紛失してしまう ということである. たぶんいろいろなところに持って行ってそのまま忘れて きてしまうのだと思うが,自分の意識ではそんな記憶もなく,足が生えたか 羽が生えたか自分の意志で私から逃げて行っているような気もするのだ.

それから研究にはそれほど必要ないけれども,重要なアイテムが電池. 電池を使う物には常に電池切れの恐怖があって,精神衛生上よろしくない. というわけで,できるだけ必要のないものは持ち歩かないことにしている. 腕時計も高校や大学の頃はしていたのだが,社会人になって時刻に追われない 生活になったら,たまに買った時計が電池切れしてしまうともう交換するのも 面倒になり,そのまましなくなってしまった. 携帯電話なんてどうせ使わないし(普通の電話だってほとんど使わないのに^^), 電池の心配をするくらいなら当分持つことはないだろう. そもそも携帯電話くらいのサイズになると入れる場所がない. カバンは持ち歩きたくないし,背広も着ないし,ズボンのポケットは財布や 免許や鍵であふれているし.

私が(たまにだが)持ち歩くものには,デジカメや CE マシンがある. それらは乾電池で動かせば長時間もつのだが,エコロジカルではないので, (すぐに切れてしまうが)充電式のものを使っている. 乾電池と言えば,うちにたくさんあるリモコンや子供の玩具はたいてい電池切れ である^^;. たまにしか使わないものも多くてもったいないような気がして しまうのだ.

電池問題は,情報技術の中で最も重要な問題ではなかろうか,などと 考えているのは私だけだろうか. 出張に行ったりするのに AC アダプタや 充電器を持ち歩かねばならないのはとても辛い. 太陽電池で動くデジカメや CE マシンが出て欲しいのだが,今だとこうもり傘 ぐらいの太陽電池を夏の快晴くらいの日差しで発電させてやらないとだめそうだなー. ひょっとしてもっとすごいかも. これじゃあ意味がないな.


2000 年 4 月 12 日

オブチさんが倒れて,その後例によってムラの論理で次のモリさんが首相になった. まあ誰が首相になっても同じだと思うだが,機器管理がなんとかとか, リーダー湿布がなんだのといろいろ問題になっている.

そもそも「なんとか長」というのは飾りの方がいい. そういうのは責任をとるためにあるのだという説もあるが,なんで責任を 一人に押しつけちゃうんでしょう. 民主主義なんだから,みんなで責任取ればいいのに. という考え方を民主主義カブレと言うのだそうで,そういうことだから日本はイカン のだという人がとても多い.

民主主義は効率が悪いのは確かだから,会社とかの利益追求型ではいわば 独裁主義でなんとか長は必要かも知れない. でも,国がそれじゃあまずいんじゃないのと思ったり するんですが. 国民が責任を取るべきなんじゃないのかな. 国が悪い方に向かってもそれは主権者である国民の責任.

今の日本は,所詮官僚が政治を動かしているんで,国民は 官僚政治の一つ一つに Yes か No したい. それを政党制というこれまた実情はムラ社会を介してしか意志表示できないのは なんかおかしいのではないか.

などと昨今のニュースを見て,柄にもなく社会派しちゃいました. そういえば新しい独立行政法人にもいろいろ階層構造があるなー. 理事なんていういかにも悪そうなことをしそうな(または何もしない)ポストが あるし...


2000 年 4 月 4 日

今日はちょっと研究がらみの話で,一般読者の方はごめんなさい. 研究落書帳の方に書くべきかな.

神経回路学会誌を読んでいたら,巻頭言で北大の津田一郎先生がなかなかいいことを 書いていた. 主な内容は「一流の研究と一線の研究は直交している」 「外からの評価などに惑わされず,きちんと自己評価して研究しろ」など.

今まで津田先生は派手なタイプであまり好きではなかった. 神経回路学会の全国大会でも,モデル研究者に対するメタな攻撃が多くて 印象が悪かった. しかし,この文章に書いてあることはずいぶんリラックスして 書いているのか,少し脈絡のない部分もあるが落ち着きがあって気張った感じが無い. これはずいぶん印象が変わった.

耳が痛いことも書いてある. 津田先生が「スッキリバカ」と呼んでいる, すっきりして気持ちが良くなって研究ができたと思い込んでいる研究者 では深い研究はできないとのこと. うーん,確かにそうなんだよなー. そして自分はこのタイプ. はてさてどうしたらいいんでしょうか.


2000 年 4 月 3 日

東京での開花宣言に続き,うちの周りでもちらほら桜が咲いている. 別に桜が好きというわけではないが,花より団子,というわけで 今週末は家族でバーベキューにでも出かけるつもりだ.

話は全然変わるが,最近お金について考えている. お金と言うのは不思議なものである. 一体どこから湧いてどこに消えて行くのだろうか,などと経済学の入門以前 のこともよくわかっていないのだが,とにかく物には値段がついている. 私にも少なからず給料や研究予算という形で値段がついている.

お金がないと何も買えないという意味では不幸だが,あり余っていても 不幸だったりする. 値段が安いからといって価値がないとも限らない. 最初は物々交換の代替物だったはずだが,どんどん仮想化し複雑化して 金額というものがほとんど意味をなさなくなっている. 今の情報バブルというのもその一つなのだろう.

それにしても,年に何十億も稼いでいる人と生涯賃金 3 億円程度(?)の私とで それほど差があるとは思えないのだが(ひがみか). 変な例えだが,相対性理論で慣性系ごとに時間の定義が違うように, 人や場所・状況によってお金の定義も変わってしまう. 経済の幾何学とかいう話はあるのだろうか? 日本経済の曲率とか, 情報バブルと特異点の関係とか,うーん訳がわからなくなってきたぞ.

とにかく,一庶民としてはお気に入りの酒が 10 円安く売っている店を見つける だけで満足してしまうのだ.


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